どうでも良いことだが、考えていたこと。
技術的に気になっていること。
UNIXのマニュアルは英文だった。
英語の勉強の必要は感じていた。
UNIXに限らずコンピュータの話題と技術はアメリカ発なので、当然全てが英語になる。
辞書をひらいてもしっくりこない。
技術用語の英語表現なので、専門に特化したものでないと意味が伝わらない。
今にして思うとその頃あった和訳した技術書は意訳した内容だったのだろう。
英文の技術記事が理解できれば、好奇心を強く持って開発の仕事ができたと思う。
シリコンバレーは、憧れの存在だった。
若い時の感性がなくなったのか。新しい何かを感じなくなった。
だいたい、GAFAとかも「群馬・青森・福島・秋田・・」というように地名か人名と思ったぐらい。
FAANGになっても、「福島・青森・秋田・新潟・群馬」になる。
日本には、GALA湯沢があるから、そんなに気にしなくてもいいか。
でも、GAFAざわざわで米大手IT企業を好きになれない人もいるだろう。
中国は、googleもamazonもなくても全然へっちゃらだし。
それに、自分だったら「I am」IBM,Apple,Microsoft なんだけどな。
(GAFAの中に、Appleを入れるのには抵抗がある。
はずしてアニメの表現を借りると、GAF(ガフの扉)になる。)
社会人になって、システムの開発の仕事を始めたときは
身近にはパソコンがあり、世間はいろんなシステムが動いていて
コンピュータは、もう特別な存在でなかった。
元々、この仕事に就きたいと思ったきっかけはスーパーコンピュータのことが気になったからだった。
いつか、スーパーコンピュータを扱ってみたいという強い希望を持っていた。
スパコンの開発はできないだろう。そして、目標としていた。
地球シミュレータはスパコンでもなんでもないというインターネットの記事で見かけた。
ハードウェアの性能、それもCPUの処理の比較をすればそうだろう。
クレイの系譜なのか後継機種と言って良いのか、AMDのCPUとNVIDIAのGPUで実装されている。
そんなにがっかりはしない。部品が何であろうと基本設計にこそ技術者の腕の見せ所だからだ。
ただ、スカラー演算とベクトル演算、ベクトルプロセッサとGPGPU
それぞれ処理方式が違うのに、同じものとして比較する考えは抵抗感がある。
スーパーコンピュータのことを憶いだしたこともあり、インターネットにある技術記事を見てみた。
何だか、ベクトル式は性能向上ができない理由が書かれていた。
物理的な限界
乗算器を増やせない。
論理的な限界
コヒーレンシ、ヘテロジニアス
論理的なことは、とっくに解決しているものとばかり思っていた。
未だに解決しない、何でだろう。いつまで掛かっているのか。
でもまあ、難しいことは、頭が良い人が考えることだ。
高性能とは演算速度だけじゃないと思うけど、研究・開発を実際にしている技術者の記事なのでそうなのであろう。
素人目の感じであるが、イメージはこう。
スカラー車 1~2台の自動車が、時速200km~300kmで走行する。
ベクトル車 4~8台の自動車が、1cmの誤差もなくきちんと揃って時速100kmで走行する。
カーブがあり交差点がある。
カーブは、
スカラー車 時速200kmでは曲がれないので減速する。後続にも影響する。
ベクトル車 時速100kmならば、複数台の車が寸分違いもなく曲がれる。
交差点は、
スカラー車 2車線の交差点。後ろの車は待機する。
ベクトル車 4車線+4車線の交差点。順番がくずれることなくそれぞれの方向に向きを変える。
ボトルネックはあるが、スカラー車の方が速いのは直線距離が絶対的に差があるため。
ここまで書いて気付いたけど、自分の考えはVLIWのことをイメージしてるようだ。
演算回路がものすごく良くても、コンパイラの設計とアルゴリズムと思う。
ベクトル式が処理速度が低くなっても、スーパーでなくなってもベクトル計算機を応援したい。
他に気になることは、
ひょっとすると64ビットで打ち止めか。
64ビットのメモリ空間をアクセスするのも大変だろうから、128bit→256bitになっていかない。
何というか、128bit以降は、VLIWが復活するかもしれないと思って。
(やっぱり)書いておこう。
私自身の開発経験に、スーパーコンピュータの開発がある。
PGの開発職からみても遠いところにいたので、一生縁がないものと思っていた。
それでも、目標なので少しずつ近づく努力はしていた。
どういうことだったか。第一種情報処理試験とソフトウェア開発者試験を勉強した。
まるで、方向性が違うけど自分ではそれが近づくことと思っていた。
明確な意思をもって勉強すれば、ベクトル矢印の向きが変わるのだろうか。
いつか目標に到達する。そういうことだったのか。
スパコンとは違うけど。
気になっていることは、「4進数」演算回路。
2進数と互換性があり、2進数でない新しいことを考えないといけない。
そこは、技術者の挑戦になる。
2進数と同じことをするだけ?どうだろうか。
量子コンピュターの本を読んだ。
量子アニーリングの方は、「これは、アナログだ。」と思った。
本当に計算尺で手を動かして数字を合わせているようなものだ。
言うならば、電子計算尺。
量子アニーリングのできることは、組み合わせができるだけ。
浮動小数点演算をすることをコンピュータと定義する人たちからすれば、
コンピュータでなく電卓みたいなものだろう。
1つのことだけできるのは、コンピュータでなく電卓だ。
1億円プレーヤーだろうか。
このことは、
1億円のソファに座って
1億円の電卓を使うようなことだ。
アナログの波形は、ペンレコーダーを憶いだした。
こんなことを書くと、テクノロ爺さんと言われそうだ。
しかし、アナログ式計算機だからこそ可能性を感じる。
アナログ・コンピューターがまた、世の中に出てくる。
自分は、このことに意識が向く。
過去の産業の発展を見てみると、アナログ技術者はたくさんいるだろう。
その人たちが持っているノウハウは活かすことができるかもしれないが、
そういう人はリタイアして現役から離れていく。
アナログ回路からデジタル回路へ移行した際に置いてきた技術が有効かもしれないのに。
現在でも、オペアンプ(OPアンプ)があるが、頭の中をオペしなければ
ならないほど別の発想が必要になるのだろうか。
量子コンピュータの書籍を読んでいると、身近にあるパソコンと他のコンピュータを総称して、
古典コンピュータと表現しているのがいくつかあった。(2019年時点の intel i9 第8世代であってもそう表現される。)
逆じゃないだろうか。当の量子コンピュータは、それこそ初期のコンピュータぐらいのことしかできないくせにと思う。
それに、がっかりしたことは仮想という形で「レジスタ」があることだ。
これでは、FORTRANでプログラムを記述してジョブを作成して実行するのと同じになる。
何か、根本的に違う。古典コンピュータの技術を踏襲しないといけないのか。
そして配線だらけのハードウェアは論理回路でビットを扱うのでなく、
ケーブルの接続状態で制御する。これは、ワイヤードロジック(配線論理)だ。
どちらが古典的コンピュータだろうか。(いきなり素敵にはならないようだ。)