1.その昔し、Smalltalk と Prolog に興味があった。
この2つの実行環境とプログラミング言語は個人での入手は難しいもので身近になかった。
Prolog は RUN/Prolog があり購入しやすい価格であったけど一般的でもなかった。
その頃、学習用でなく本格的な製品を入手して、やりたいこと・考えていたこと。
UIを Smalltalk にして、知識データベースを Prolog にすれば、なんかすごいのがきると自分では思ったけど
身近に実行できる環境はなかった。それでも少しずつ勉強をしていた。開発の仕事で直接に関係するプログラミング言語を
きちんと勉強するのが本分であったけど別のことだがどうしても興味があり気になっていた。
2.第5世代コンピュータの計画
AIのみが目的でなかったが、新しく専用のコンピュータを開発しようとしたことはおかしいことでない。
1つは、並列処理の技術検証
手続き型言語と逐一処理はいずれ限界がくる。このように考えられていた。
2つめは、知識データベース
知識をデータベース化する。
この部分がAIに近い発想、コンピュータ・システムなので機能の1つと書くべきことか。
関係データベースの理論はいくつかの論文で発表されていたけど
実装は実験レベルでコンピュータ・システムとは言えないものだった。
現在はどちらも実現できている技術
しかし、そうでなく現在ある技術が実現していなければ第5世代コンピュータの計画は間違っていない、そう思う。
マルチCPU(メニー・コア)、関係データベース、GPU いずれかの1つがなければ、コンピュータ・システムの環境も
随分違ったものになったろう。
身近にあるパソコンをみて第5世代コンピュータのプロジェクトは何もなっていないと考えるのはおかしい。
もしかすると第5世代コンピュータ計画の延長にあるコンピュータ・システムを使用しているかもしれない、のに。
簡単に書けば「ないから作る、でも他に良いものがでてきた。」その良いものがなかったら自分で考えたものが普及している。
そうならずに別の良いものが普及した。
当時、汎用コンピュータはできることは意外とレベルがひくい。
しかし、知識データベースをつくり、会話をするような機械をつくりたいと思うひとはいて
新しいことへの挑戦を考える。コンピュータ史のなかで自然な流れであったろう。
3.LISP もそうだろう。
人工知能にとっては不幸で、人類にとっては幸福と言えるかもしれない。
別々のコンピュータとプログラミング言語で実現させるべきものがそうならかった。
コンピュータは元々、ミサイルの弾道計算をするために開発された。
目的は四則演算ができればよい。そして、そのことはできる。
こうのような時代背景で、ハノイの塔とグラフの理論がコンピュータを使えば、できる(できるかも)と、そう思わせることがあった。
それだけで人工知能を感じたことだろう。
LISP はとても古いプログラミング言語だ。
リスト処理は、当時の人には魔法のように感じたことだろう。
強烈な記憶。だから、現在までそのプログラミング言語は続いている。
ひたすらに再帰を繰り返すので専用の LISP マシンの開発に至る。
実機が製作された訳だけど、当時の半導体技術では目的が達成されただろうか。
あまり結果は良くなかったかもしれない。
英語の論文はありそうだけど、詳しくは知らない。
このことは、第五世代コンピュータと同じだ。どうしてもその当時の半導体技術に依存する。
4.現在のAI技術でよく目につくひとはウクライナとかロシア出身という。
そう言えば、フォン・ノイマンもハンガリー出身
有名な暗号化の理論もハンガリーの人だったと思う。ハンガリーでなければ旧共産圏の東欧の人だったと思う。
逆ポーランド記法とポーランド記法
これを考えたひとの名は、広く知られることがないけど国名の方ばかりが有名になった。
Prolog は、旧ソ連のR・コワルスキ。
ただ、国が閉ざされていたので古い理論しかなくてそれを履修するしかない事情があったかもしれないけど
日本の大学の先生があちこち目遷りして何ひとつ自分のものに出来ないことの裏腹にそれは細い糸で途切れずに連綿と続いていた。
苔の一念でもイノベーションを起こす。その一例でもある。
すごいな。
ハンガーに衣類を掛けながら思った。
5.Prolog-KABA
これは、外国の人がつけた名称。
ジャパン・アズ・ナンバーワンと浮かれていた日本は見透かされていたのだろう。
たくさんの技術があって、できる・できないがだんだんと収斂されて今の技術がある。
それは当然、できる・できないがある。
結果だけをみて、できなかったことを KABA というだけではちょっと情けない。
2024/01/14